かさ高いケトンを優先的に還元!

京都大学の 辻 康之教授らのグループ ではナノメートルサイズの大きな配位子をもつ触媒反応の開発を行っています。今回、同グループから目を見張るような論文が発表されたので紹介します [論文]

2,2,4,4,-tetramethyl-3-pentanone はかさ高いケトンで反応性が低いことが知られています (そのヒドロシリル化の触媒条件は今でも 2 種しか報告がない)。著者らはこのかさ高いケトンの銅触媒ヒドロシリル化において、ユニークなリガンド効果を見出だしました。


PPh3 や P(Mes)3 ではほとんど反応が進行せず、著者らの研究室で開発された tris(3,5-diarylphenyl)phosphane にすると反応性が格段に向上するというのです。(上図には書いていませんが、銅触媒のヒドロシリル化に有効との報告のあるニ座配位のホスファンリガンドもこのかさ高い基質には不向きな結果です)

このリガンドは種々のかさ高いケトンのヒドロシリル化に効果的で、何より面白いのは、かさの低いケトンやアルデヒドの存在下でもかさ高いケトンの還元が優先するという点です。(アルデヒドを保護せずにケトンを優先的に還元するのはこれが初めてのようです。)


この不思議な選択性は、やはりその大きなリガンドに秘密があります。

銅複合体は多量体を形成しやすく、例えば CuCl と PPh3 を混ぜると CuCl(PPh3) が四量体を形成することがわかっています。そして CuCl と著者らのリガンドを混ぜると二量体が得られるとのことで、その大きなリガンドが多量体化を抑制していることがわかります。(ちなみに、銅ヒドリド種も多量体化しやすく Ph3PCuH は六量体として単離されるそうです)

反応メカニズムは以下のように推察されています (著者らのリガンドはボウル状の立体構造をしているのでボウルで描かれています)。鍵中間体は下図上段の銅ヒドリド種と下図下段のアルコキシドです。銅ヒドリド種はケトンやアルデヒドと可逆的にアルコキシドを形成します (step a)。ここで、かさ高いケトンが反応すると単量体になり (かさ高いボウル型のリガンド+かさ高いアルコキシド部のため)、その結果シランとの σ 結合メタセシスが起こりやすくなります (step b)。一方、かさの低いケトンやアルデヒドの場合、多量体化してしまい step b の反応性が低くなる、というわけです。


つまり大きなボウル状のリガンドを用いて銅中心近傍の環境を制御することで、このユニークな反応性が生まれたというわけです。余談ですが、私の同僚の F くんはこの反応機構を見てこうつぶやきました。「環境が変わればガラリと変わっちゃうんだね、反応も人も」。

[関連] こういった変わった選択性や反応性に関するレビューが昨年の Angewandte に報告されていますので、興味ある方は併せてどうぞ。
[論文] "Copper-Catalyzed Hydrosilylation with a Bowl-Shaped Phosphane Ligand: Preferential Reduction of a Bulky Ketone in the Presence of an Aldehyde" Angew. Chem. Int. Ed., Early View.


気ままに有機化学 2010年01月29日 | Comment(5) | TrackBack(0) | 論文 (反応)

クリックケミストリー ≠ Huisgen 反応、2つの意味で。

クリックケミストリー (Click Chemistry) と言えば誰もがまず頭に思い浮かべるのはアジドとアルキンの [3+2] 付加環化反応、つまり Huisgen 反応かと思います。しかし 「クリックケミストリー = Huisgen 反応」 というわけではありません。


クリックケミストリーが本来どういったものであるかについては クリックケミストリーの概念と応用 の中で提唱者である K. B. Sharpless 自身が次のように述べています。

実験操作が非常に簡便で、目的生成物のみを高収率に与え(副生成物は生じないか、生じてもごく少量である)、水中を含むどのような条件下でも効率よく進行する上に、どのようなタイプの分子でも互いに結合させることが可能である。「クリック」という言葉は、あたかもシートベルトのバックルが「カチッと音を立てて(clicking)」つながるように、この手法で二つの分子が簡単につながることを意味している。

この考えに従えば、R. C. Larock の "Benzyne Click Chemistry: Synthesis of Benzotriazoles from Benzynes and Azides" [論文1] のタイトルに私は疑問を感じます。確かにアジドとアルキン (ベンザイン) の反応ですが、反応条件や官能基耐性や反応時間などの観点から "Benzyne Click Chemistry" よりも "Benzyne Huisgen Reaction" が適切ではないでしょうか。(この論文を含めた Larock のベンザインのケミストリーは素晴らしい)


では Huisgen 反応と同じくらいクリックケミストリーな反応は存在しないのでしょうか?最近、新しいタイプのクリック反応が報告されていますので 2 つ紹介しましょう。

1 つは 2008 年に報告された tetrazine と trans-cyclooctene の Diels-Alder 反応 [論文2]。室温で混ぜるだけで希薄溶液中でも短時間で定量的に反応が進行します。有機溶媒だけでなく水中や cell media、cell lysate 中でも問題なし。そして副生成物は窒素だけ。実際に thioredoxin というタンパク質の修飾までやっちゃってます (官能基耐性) 。これこそ 「クリックケミストリー」 ではないでしょうか。


もう 1 つはつい最近 2010 年の cyclic diazodicarboxamide と tyrosine の Ene 型反応。この反応も水系バッファー中、室温・短時間で高収率に反応し、生成物は酸にも塩基にも熱にも安定。さらに、実際に tyrosine を含むペプチドやタンパク質をラベル化することにも成功しています。なお、上述の方法でタンパク質をラベル化するにはタンパク質に alkyne や trans-cyclooctene を導入する必要がありますが、この方法は直接 tyrosine 残基をラベル化できます。


論文タイトルにも "A Click-Like Reaction" という言葉が含まれますが、「クリック反応」と呼ぶに相応しい反応ではないでしょうか。

以上、Huisgen 型反応でもクリック反応とは限らず、また Huisgen 反応ではないクリック反応も見つかってきている、2 つの意味で 「クリックケミストリー ≠ Huisgen 反応」 という話でした。今後、これらの方法は生化学や創薬の分野でも応用されるでしょうし、これら以外の新しいクリック反応も見つかることでしょう。 2001 年に K. B. Sharpless によって提唱されたクリックケミストリーはどこまで発展していくのか、楽しみですね。

[参考] Huisgen 反応の生化学や創薬分野への応用については 現代化学 2008年 06月号 に佐藤健太郎氏によるレビューがあります。
[論文1] "Benzyne Click Chemistry: Synthesis of Benzotriazoles from Benzynes and Azides" Org. Lett., 2008, 10, 2409.
[論文2] "Tetrazine Ligation: Fast Bioconjugation Based on Inverse-Electron-Demand Diels−Alder Reactivity" J. Am. Chem. Soc., 2008, 130, 13518.
[論文3] "Tyrosine Bioconjugation through Aqueous Ene-Type Reactions: A Click-Like Reaction for Tyrosine" J. Am. Chem. Soc., Article ASAP

気ままに有機化学 2010年01月23日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文 (反応)

珍しい不斉反応 Parallel Kinetic Resolution

不斉触媒反応はおおまかに 2 つに分類されます。1 つはプロキラルな基質から片方のエナンチオマーの生成物を優先的に生成するもの、そしてもう 1 つは片方のエナンチオマーの基質を優先的に反応させる Kinetic Resolution です。これらはご存知の方が多いかと思います。そして珍しい反応ですが実は 3 つ目があります。基質の両方のエナンチオマーを異なる生成物に変換する Parallel Kinetic Resolution です。

下図に示すように、Kinetic Resolution が片方のエナンチオマーが生成物に変換され他方のエナンチオマーが未反応で残るのに対し、Parallel Kinetic Resolution ではそれぞれのエナンチオマーが別々の生成物に変換されるのが特徴です。それら 2 つの生成物がジアステレオマーの場合を "Stereodivergent Kinetic Resolution"、構造異性体の場合を "Regiodivergent Kinetic Resolution"、異なる化合物の場合を "Chemodivergent Kinetic Resolution" などと呼ぶようです。


そして先週の Science に Regiodivergent Kinetic Resolution が報告されました [論文1]。光学活性イットリウム−サレン 2 量体錯体を触媒としたアジリジンとトリメチルシリルアジドとの反応で、R体からはアジリジン環の無置換炭素側から開環が起こり、S体からは置換炭素側から位置選択的・立体選択的に起こったとのこと。極めて高い選択性を達成しています。また、面白いことに得られた 2 つの生成物のキラリティーは一致しているため、この 2 つは化学変換によって単一のジアミン誘導体にすることができます。


メカニズムがよくわかっていないようなのが残念ですが、今年報告されたもう 1 つの Regiodivergent Kinetic Resolution ではメカニズムの概要のようなものが提唱されていますのでご参照ください [論文2]。また Parallel Kinetic Resolution 全般に関しては Denmark グループの セミナー資料 がよくまとまっています。

まだまだ報告例は少ないですが、こういった反応が一般的になってきたら、全合成でキラルなフラグメント 2 種を Parallel Kinetic Resolution で一挙に作り上げる 「一石二鳥」 な報告なども (実用的かどうかは別として) いつか出てくるかもしれませんね。

[論文1] "Regiodivergent Ring Opening of Chiral Aziridines" Science, 2009, 326, 1662.
[論文2] "Reagent-Controlled Regiodivergent Resolution of Unsymmetrical Oxabicyclic Alkenes Using a Cationic Rhodium Catalyst" J. Am. Chem. Soc., 2009, 131, 444.
[報道1] "Single catalyst gives two products from racemic mixture" (Chemistry World)
[報道2] "Regiodivergent Reaction" (C&EN)

気ままに有機化学 2009年12月22日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文 (反応)

光を利用した化学反応: 論文2報

近年高騰する石油などの化石燃料を含めて、人類が利用しているエネルギーの元を辿れば太陽光に行きつきます。科学の進歩のおかげで、太陽光を熱や電気エネルギーに変換する手法(太陽光発電など)は大きく発展してきました。しかしながら、太陽光を化学反応に利用する試みはあまりなされていないように思います。

つい最近、MacMillan らは光レドックス触媒である [Ru(bpy)3]2+ 錯体と MacMillan 触媒存在下でアルデヒドとアルキルハライドを反応させるとアルデヒドの不斉アルキル化が進行することを Science 誌に報告しました [論文1]。この論文に関しては 化学者のつぶやき さんで詳しく紹介されているのでそちらをご参照いただきたいのですが(下図も上記から転載)、反応機構は 「アルキルハライドから還元的に生成する電子不足アルキルラジカルが、電子豊富エナミンに付加する」 という触媒サイクルが提唱されています。

080926-1.gif

さて、時は1年ほど遡りますが、Inorg. Chem. 誌に興味深い反応が報告されていました [論文2]。先と同様の Ru 錯体を bipyrimidine で Pd 錯体と連結させた触媒です。つまり、Ru 中心で光エネルギーを補足し、そのエネルギーを bipyrimidine を介して移動させ、Pd 中心で反応を触媒するという設計のようです。

080926-2.gif

反応はメチルスチレンの二量化反応なので、反応自体は MacMillan の論文の方がはるかに実用的ですが、bipyrimidine を介して Pd を連結させるアイデアはなかなか面白いなと思ったわけです。また、MacMillan の論文でルテニウムの配位子を変更することで酸化還元電位を調節しうる可能性についても触れられていますが、この反応でも bipyrimidine 上の置換基によって反応性が大きく変わることが示されています。

以上、光を利用した化学反応の紹介でした。比較的新しい分野だからか私の理解力が足りないからか、"?" と思うところがいくつかあったのですが、翻せばまだまだ今後も発展の余地が大きい分野なのかもしれませんね。

[参考1] 光レドックス触媒と有機分子触媒の協同作用 (化学者のつぶやき)
[論文1] "Merging Photoredox Catalysis with Organocatalysis: The Direct Asymmetric Alkylation of Aldehydes" David W. A. MacMillan et al. Science 2008, published on ScienceExpress.
[論文2] "Synthesis of Pd Complexes Combined with Photosensitizing of a Ruthenium(II) Polypyridyl Moiety through a Series of Substituted Bipyrimidine Bridges. Substituent Effect of the Bridging Ligand on the Photocatalytic Dimerization of α-Methylstyrene" Akiko Inagaki, Munetaka Akita et al. Inorg. Chem. 2007, 46, 2432.

気ままに有機化学 2008年09月26日 | Comment(4) | TrackBack(0) | 論文 (反応)

ヘキサンの毒性と C-H 酸化反応

あなたは実験中はきちんと手袋をしてますか?
私は大学院時代は基本的に手袋はしてませんでした(ヤバい試薬以外は)。
なので、汎用溶媒のヘキサンなんて手にジャバジャバかかってました。

・・・良い子は絶対に真似しちゃダメですよ。
何故ならヘキサンは末梢神経毒性があるからです(一応毒性は低いとされている)。
ちなみに化学物質便覧によるとヘキサンの人体への影響は、「蒸気は目、鼻、のどを刺激し、目は発赤、角膜損傷を起こし、めまい、眠気疲労、四肢末梢の知覚異常を起こすことがある。高濃度では麻酔性がある。長期暴露は多発神経炎を起こすことがある。経皮吸収がある。」だそうです。ヘキサンを手にジャバジャバは今思えば自殺行為の一種ですね。苦笑

・・・ここで1つ疑問に思いませんか?
何で単なる炭化水素のヘキサンに末梢神経毒性があるんだろう、って。
何の官能基も付いてないのだからあまり生理活性はなさそうなのに。

・・・実はヘキサンの毒性には生体内変化が関与しているのです。
ヘキサンは生体内で シトクロムP450 という酵素群により4つの連続した酸化を受け、毒性代謝物の2,5-ヘキサジオンになるのです。そしてこれが Paal-Knorr 型の反応により、神経フィラメントタンパク質中のリジン残基とピロール環を形成することで神経毒性が出ます(ピロール環の自動酸化が起こり、軸索中間フィラメントタンパク質が架橋形成されて末梢神経毒性が発現する)。

080905.bmp

この反応を見て思ったのですが、この手の C-H 酸化反応は未達では?
2005 年の J. Du Bois らのオキサアジリジン触媒-過酸化水素を用いた触媒的3級 C-H 酸化反応 [論文1] や、2007 年の M. Christina White らの鉄錯体触媒-過酸化水素を用いたもの [論文2]、さらに 2008 年の Phil S. Baran らによるアルコールを足がかりにした C-H 酸化反応による1,3-ジオールの合成 [論文3] など、近年 C-H 酸化反応の報告が盛んですが、末端から2つ目の炭素の C-H だとか末端の C-H 選択的な酸化反応は見たことがないような気がします。あまり有用でないかもしれませんが、どなたかチャレンジしてみては?ただし実験はきちんと手袋を着けて。笑

[関連1] 不可能を可能に!穏和で選択的な C-H 酸化反応 (気ままに有機化学)
[関連2] 複雑化合物合成にも適用可能なC-H酸化反応 (化学者のつぶやき)
[関連3] 位置選択的C-H酸化による1,3-ジオールの合成 (化学者のつぶやき)
[論文1] "Oxaziridine-Mediated Catalytic Hydroxylation of Unactivated 3 C-H Bonds Using Hydrogen Peroxide" J. Du Bois et al. J. Am. Chem. Soc. 2005, 127, 15391.
[論文2] "A Predictably Selective Aliphatic C–H Oxidation Reaction for Complex Molecule Synthesis" M. Christina White et al. Science 2007, 318, 783.
[論文3] "1,3-Diol Synthesis via Controlled, Radical-Mediated C−H Functionalization" Baran P. S. et al. J. Am. Chem. Soc. 2008, 130, 7247.

気ままに有機化学 2008年09月05日 | Comment(9) | TrackBack(0) | 論文 (反応)