研究者に示唆を与えてくれる、ノーベル賞受賞者の言葉

最近ノーベル賞受賞者の著書を読む機会があり、いくつか感銘深い言葉を見つけましたので紹介したいと思います。

さて、以前、『科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか』 という新書から、次の言葉を紹介しました。「これが解ければ、あなたはすぐれた研究者である。次の質問に答えよ。問題 1 何かおもしろい問題を考えよ。問題 2 問題 1 で作った問題に答えよ」。シンプルながら核心を突いているように思います。"問題 1" の重要性について、利根川進先生や野依良治先生は興味深い指摘をされています。

 一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ。 [p.115]

 よく科学者にはオリジナリティがなければいけないというでしょう。もちろんその通りです。ところがこのオリジナリティの意味を取り違えている人がいるのです。大切なのは、オリジナルでかつ重要度が高いことをやることです。人がやってないことなら何でもオリジナルで、だから研究する価値があると主張するのは間違いだと思いますね。 [p.117]

 自然科学の研究は端的に 「問題」 とその 「解答」 からなる。(中略) しかし、さらに難しいことは、良い問題を設定することである。借り物でない 「自前の問題」 でなければならないからである。
 2001 年にノーベル文学賞を受けたヴィディアダハル・S・ナイポールは 「作家の最大の仕事は書くべき題材を見つけること。それで仕事の四分の三は終わる」 と言う。文学と同様に学術研究も何を題材にしてもかまわない。だからこそ問題設定が難しいのである。理詰めでは平凡、幸運を呼び込む能力、セレンディピティーが必要となる。ひとえに個人の資質に依拠するが、人の思考力には限界がある。異質の考え方と技術の集積の掛け算こそが新たな力を生む。私は異なる機能、役割をもつ人たちの 「グッド・ミックス (適切な混成体)」 が、学術研究の組織としてはいちばん良いと信じている。 [pp.199-200]

テーマをうまく設定できてもなかなか思うような結果が得られないのが研究というものかと思います。期待した結果が得られなかったときにその原因を突き詰めることの大切さを田中耕一さんと野依良治先生が強調されています。

 要は、なにかおかしいと思う結果が出たときに、常識にとらわれてその結果を見逃さないこと、理論とちがった結果が出てきたときに、失敗した、実験が間違っていると決めつけないこと、それに尽きるのではないでしょうか。ある方から、私が、高分子の質量スペクトルを測定していて、イオン化の信号を見つけられたのは、「見えないものを見る努力をしていたからだ」 と言われました。たしかに、見る (see) ことと認識 (recognize) することは大きくちがいます。私は、見えないかもしれない現象を、意識的に見る努力をしていたと言えます。なにか新しいことを発見したい、なんとか発見して、役立つ技術を開発したいと一心に思っていたのでしょう。
 思ったような結果が出ないと、意気阻喪して、もう、その研究にさわりたくなくなります。でも、どうして現実の結果があるべき結果とちがうのか、そのことをとことん突き詰めれば、その先に、新しい発見が待っているかもしれません。 [p.78]
田中 耕一 『生涯最高の失敗

"失敗は次の手がかり" と常に自分に言い聞かせてきました。[p.88]
田中 耕一 『田中耕一という生き方

世界の研究者たちが日々おびただしい数の新事実を生みだしている。実験はなかなか計画どおりにはいかない。計画外の結果が出ることもしばしばある。しかし、計画どおりにはいかなかった実験結果にこそ、未踏の境地への可能性があると思っている。多くの人びとは、過度の目的意識が禍いして、その意味を深く吟味することなく価値なしとして打ち棄てているのではあるまいか。それこそが想像力の欠如というべきで、まことに惜しい限りである。[p.104]

私は明快な方向と粗い計画を示し、具体化は若い人の工夫に任せた。計画どおり仕事が進めばいいが、予想に反して面白いことが見つかればさらに素晴らしいと考えてきた。 [p.199]

そして面白いことに、野依良治先生と根岸英一先生がともに 「事実と真実」 について著書の中で注意を喚起されています。

広い世界で日々膨大な数の研究者たちが働いており、さまざまな科学的事実を学術誌に報告する。しかし、それらの記述は科学者が経験したごく限られた条件においてのみ正しく、より広い自然界における普遍的な 「真実」 を意味するものではない。有力者による流行分野の華麗な論文に惑わされてはならない。あくまで未踏に挑まねばならないのである。 [p.302]

 われわれは単なる事実 (それは見かけ上だけの真実なのかもしれないし、単なる間違いかもしれない) を追い求めているのではなく、あれこれと真実を追い求めているのである。ただし一つの問題は、ほとんどすべてのことに関して、何が真実か誰も知らないことだ。
 真実に非常に近い可能性があるものを見出す唯一の実際的な方法は、手に入れた事実と数字を正確に吟味することである。しかし、覚えておいてほしいのは、繰り返したからといって、それが保証にはならないことである。というのは、人は何度でも間違った実験を繰り返す可能性があるからである。 [p.172]
根岸 英一 『夢を持ち続けよう!

他にも印象深い言葉がありましたので、いくつかを並べて紹介しておきます。

 サイエンスというのは、最初に発見した者だけが勝利者なんです。発見というのは、一回だけしか起こらない。同じものをもう一度見つけても、発見とはいわないんです。一ヶ月のちがいでも、一週間のちがいでも、早いほうだけが発見なんです。サイエンスでは二度目の発見なんて、意味がない。ゼロです。だから競争は熾烈です。 [p.183]

(引用注: ウッドワード教授に関して) 「亀の甲」の分子構造式はゆっくりと美しく描く。われわれは大きな化合物の構造式を簡略化して描くことがあるが、彼は絶対に省略表現を許さない。常に全体構造をしっかり捉えなければ、見落とすことがあるかもしれないからである。[p.133]

 灘高の化学担当は老練な大内淳三郎先生だった。学会や産業界のことなど、教科書以外の知識も詳しく、身振り手振りを交えて名講義をされた。六年一貫なので、三年生になると教科書を早々に切り上げ、英語の小冊子で有機化学の入門編を習った。
「高校の教科書にはメタン (methane)、エタン (ethane)、プロパン (propane) と書いてあるが、本当はメセイン、エセイン、プロペインと発音するのだ」
 などと聞くと、本物に触れたような気になり誇らしく感じたものだ。これが優れた先生による 「ゆとり教育」 の本質である。[pp.47-48]

「大きな樫の木もドングリから」 というのがブラウン先生の口癖
ブラウン先生から習った一番のポイントは、発見の芽が出てきたとき、どうやってそれを大木に育てるかということです。ああでもないこうでもないと、その芽から出てくるいろいろな可能性を網羅的かつシステマチックに追及する、その姿勢が非常にロジカルでヤマ勘みたいなものは入れません。(中略) 「重要なのはWhat's going on?、つまりいま何が起こっているかを正確に調べることだ」 これは耳にたこができるくらい聞かされました。[p.69]

お金を追いかけたら、お金はたぶん逃げるよ。だけど、エクセレンスを追いかければ、お金はついてくる。 [p.134]
根岸 英一 『夢を持ち続けよう!

以上、個人的に感銘を受けた言葉を紹介しましたが、引用元の書籍には他にもみなさんの心に響く言葉があると思いますし、文脈をとおして読めばより深く理解することができるかと思います。一般書なのでお近くの図書館に置いている可能性もありますので、ぜひ手にとってみてください。

気ままに有機化学 2011年11月14日 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイト・ツール・本
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