Hall らのボロン酸を生産的なタグとして用いた Phase-Switch 合成のコンセプトは下図のようなものです。つまり、ボロン酸をタグとしてもつ基質を反応させ、ボロン酸を利用して分液によって生成物を分離し、それを繰り返して最終的にボロン酸を他の官能基に変換するという生産的なタグの外し方をするというものです。

おそらく上のコンセプト図だけではわかりにくいので具体的に話を進めましょう。まずはボロン酸をタグとした Phase-Switch 型の分液による精製です。下図に示すように、フェニルボロン酸自身は水に不溶ですが、塩基性条件下ではポリオールと複合体を形成し、水に溶けるようになります。この性質を利用して分液だけでボロン酸の付いた化合物を分離します。

下図をご覧ください (BAはボロン酸のこと)。反応後の通常の分液で水相を捨てて水に可溶な不純物を除去した後に、ポリオールと塩基性の水溶液を加えます。するとボロン酸は水に可溶になるので、有機相を捨てれば水に不溶な不純物や反応剤を除去することができます。最後に新しい有機溶媒を加えて水相を酸性にすれば再びボロン酸は有機相に戻り、ポリオールは水相に落ちます。有機相を分離して濃縮すれば純粋なボロン酸が得られるというシステム。ボロン酸を有機相 → 水相 → 有機相と切り替えるので Phase-Switch と呼ばれます。

種々のポリオールや塩基性の水相を検討した結果、ソルビトール (1.0M) と炭酸ナトリウム水溶液 (1.0M) に最適化されました。しかもソルビトールの量は小過剰量 (>1.35eqiv) 程度でよく、例えば 4g (32mmol) のフェニルボロン酸の操作にはわずか 40mL の酢酸エチルと 50 mL の水相 (1.0M=50mmol のソルビトールと 1.0M の炭酸ナトリウムを含む) で充分だったとのことです。実用的な量ではないでしょうか。
そしてこのボロン酸タグが合成に実用的なのは、種々の反応に耐えられること、そして最終段階で他の官能基に変換できる性質があるためです。実際、論文中では IBX 酸化、NaBH4 還元、DIBAL 還元、 DCC エステル化、PyBOP アミド化、Grignard 反応、細見・櫻井反応、Wittig 反応、Huisgen 反応に耐性があり、Phase-Switch の精製により充分な純度・収率で目的物が得られることが示されています (Wittig 反応ではやっかいなホスフィンオキシドとの分離もできるそうです)。そしてボロン酸を他の官能基に変換できる性質も利用して、高脂血症治療薬である ezetimibe を合成しちゃってます。この合成ではボロン酸が Phase-Switch のタグとして多段階で利用されているだけでなく、マスクされたヒドロキシ基として上手く合成に組み込まれています。

以上、ボロン酸をタグにした多段階 Phase-Switch 合成の紹介でした。分液タグとして フルオラスタグ など幾つか知られていますが、タグを付ける・外すという二段階が必要になってきます。その点ボロン酸は、市販で 500 以上のボロン酸化合物があり、またボロン酸を他の官能基に変換する生産的な外し方ができます (もちろんプロトン化もできます)。市販性・反応耐性・ポリオール複合体を利用した分液精製・他の官能基への変換など、総じてボロン酸の性質を巧みに利用した方法ですね。
[論文] "Multistep Phase-Switch Synthesis by Using Liquid-Liquid Partitioning of Boronic Acids: Productive Tags with an Expanded Repertoire of Compatible Reactions" Angew. Chem. Int. Ed. 2010, Early View.
[関連] ボロン酸の進化した形 (気ままに有機化学)
ポリオールを付けても溶けないかもしれんが、選択肢の一つとしてはアリだね。
選択肢の一つとしてはアリですよね!私も次にボロン酸を作る機会があれば試してみようと思っています。ezetimibe の合成の化合物 6 を見る限り、結構溶けそうな感じですね。