クリックケミストリーが本来どういったものであるかについては クリックケミストリーの概念と応用 の中で提唱者である K. B. Sharpless 自身が次のように述べています。
実験操作が非常に簡便で、目的生成物のみを高収率に与え(副生成物は生じないか、生じてもごく少量である)、水中を含むどのような条件下でも効率よく進行する上に、どのようなタイプの分子でも互いに結合させることが可能である。「クリック」という言葉は、あたかもシートベルトのバックルが「カチッと音を立てて(clicking)」つながるように、この手法で二つの分子が簡単につながることを意味している。
この考えに従えば、R. C. Larock の "Benzyne Click Chemistry: Synthesis of Benzotriazoles from Benzynes and Azides" [論文1] のタイトルに私は疑問を感じます。確かにアジドとアルキン (ベンザイン) の反応ですが、反応条件や官能基耐性や反応時間などの観点から "Benzyne Click Chemistry" よりも "Benzyne Huisgen Reaction" が適切ではないでしょうか。(この論文を含めた Larock のベンザインのケミストリーは素晴らしい)
では Huisgen 反応と同じくらいクリックケミストリーな反応は存在しないのでしょうか?最近、新しいタイプのクリック反応が報告されていますので 2 つ紹介しましょう。
1 つは 2008 年に報告された tetrazine と trans-cyclooctene の Diels-Alder 反応 [論文2]。室温で混ぜるだけで希薄溶液中でも短時間で定量的に反応が進行します。有機溶媒だけでなく水中や cell media、cell lysate 中でも問題なし。そして副生成物は窒素だけ。実際に thioredoxin というタンパク質の修飾までやっちゃってます (官能基耐性) 。これこそ 「クリックケミストリー」 ではないでしょうか。
もう 1 つはつい最近 2010 年の cyclic diazodicarboxamide と tyrosine の Ene 型反応。この反応も水系バッファー中、室温・短時間で高収率に反応し、生成物は酸にも塩基にも熱にも安定。さらに、実際に tyrosine を含むペプチドやタンパク質をラベル化することにも成功しています。なお、上述の方法でタンパク質をラベル化するにはタンパク質に alkyne や trans-cyclooctene を導入する必要がありますが、この方法は直接 tyrosine 残基をラベル化できます。
論文タイトルにも "A Click-Like Reaction" という言葉が含まれますが、「クリック反応」と呼ぶに相応しい反応ではないでしょうか。
以上、Huisgen 型反応でもクリック反応とは限らず、また Huisgen 反応ではないクリック反応も見つかってきている、2 つの意味で 「クリックケミストリー ≠ Huisgen 反応」 という話でした。今後、これらの方法は生化学や創薬の分野でも応用されるでしょうし、これら以外の新しいクリック反応も見つかることでしょう。 2001 年に K. B. Sharpless によって提唱されたクリックケミストリーはどこまで発展していくのか、楽しみですね。
[参考] Huisgen 反応の生化学や創薬分野への応用については 現代化学 2008年 06月号 に佐藤健太郎氏によるレビューがあります。
[論文1] "Benzyne Click Chemistry: Synthesis of Benzotriazoles from Benzynes and Azides" Org. Lett., 2008, 10, 2409.
[論文2] "Tetrazine Ligation: Fast Bioconjugation Based on Inverse-Electron-Demand Diels−Alder Reactivity" J. Am. Chem. Soc., 2008, 130, 13518.
[論文3] "Tyrosine Bioconjugation through Aqueous Ene-Type Reactions: A Click-Like Reaction for Tyrosine" J. Am. Chem. Soc., Article ASAP