歴史の中のフェノール誘導体

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時は 19 世紀半ば、産業革命によって栄華を極めるイギリス。その輝かしい繁栄の一方で、作業中の事故による怪我で多くの人が命を落としました。なぜなら当時は消毒技術がなく、仮に手術が成功しても傷口から細菌感染して死亡するケースが多かったためです。

イギリス人外科医のジョゼフ・リスター博士は、このような背景から消毒薬の研究に取り組み出しました。そして、1865 年にフェノールを消毒薬とした外科手術を初めて行い、大成功を収めました。この消毒法の開発により、外科手術による死亡率が 50 %から 15 %に激減したそうです。(この功績によりリスターは消毒法の父として有名になり、口内洗浄液 「リステリン」 は彼に敬意を表してつけられた名前です)

こうして多くの人の命を救ったフェノールですが、少し構造を変えたピクリン酸(トリニトロフェノール)は皮肉なことに多くの人命を奪う爆薬として使われました。

20 世紀初頭、第一次世界大戦のことです。フェノールが爆発性のピクリン酸に変換されることに気づいたドイツ軍は世界からフェノールを買い占める作戦を決行します。当時フェノールの生産はイギリスに集中していましたが、ドイツ軍はアメリカが独自に製造法を開発しドイツの敵国の手に渡るのを恐れました。そこでドイツ人化学者のヒューゴ・シュヴァイツァーにこれを阻止するように命令します。

時を同じくして天才発明家のトーマス・エジソン。蓄音機とレコード盤を発明し、これを市場に売り出そうとしていました。レコード盤はフェノール樹脂でできていましたが、その原料であるフェノールが足りない。そこでエジソンは 1915 年、自分でフェノールの大量製造法を発明してしまいます。やがてエジソンはレコード盤に使用するよりも大量のフェノールを生産するようになります。

そこで焦ったのがシュヴァイツァー。このままではドイツの敵国に爆薬の原料であるフェノールを売られかねない。第一次世界大戦の最中、一旦売られればそれこそ爆発的に売れるに違いない。そうこう考えているうちに、化学の知識のあったシュヴァイツァーは名案を思い付きます。アスピリンです。

フェノールはアスピリン(アセチルサリチル酸)の製造原料でもありますが、そのフェノールが不足していました。そこで、余ったフェノールはアスピリン製造会社のバイエル社に売ることで社会貢献できるとエジソンに勧めたのです。結局エジソンはバイエル社と契約してしまいます。シュヴァイツァーはアスピリンによって頭痛のタネを取り除くことができたのです。

これにより、シュヴァイツァー・エジソン・バイエル社は互いに利害が一致した・・・ように見えましたが、後にドイツ軍の思惑が明らかになるとエジソンはアメリカ軍にフェノールを売ることになります。・・・それにしてもフェノール誘導体を巡ってこんなに歴史が絡み合っているというのは何とも面白いですね。

[参考] シュワルツ博士の「化学はこんなに面白い」

気ままに有機化学 2009年04月13日 | Comment(0) | TrackBack(1) | コーヒーブレイク
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