アジ化ナトリウム混入事件

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New York TimesBoston Herald 12 によると、ハーバード大学でコーヒーにアジ化ナトリウムが混入する事件がありました。6 人がめまいや耳鳴りを訴え、1 人が意識不明に。医療センターで治療を受け、全員無事退院したようです。

日本でも同様の事件が 10 年ほど前に起こっています。1998 年の夏から秋にかけて、新潟の木材加工会社・三重大学・愛知の国立研究所・京都の病院でポットの湯などにアジ化ナトリウムが混入される事件が相次いだのです。この連続事件を受けて、1999 年にアジ化ナトリウムは毒物に指定されてしまいます。有機化学では上図のような様々な反応に用いられ、また生化学分野でも防腐剤として日常的に使用されるものです。毒物指定を受けると施錠された棚に厳重に保管しなければならないため、「面倒なことになった」 というぼやきを複数人から耳にしたことがあります。

毒物指定によって、誤使用や一般人の悪意ある使用はある程度防止できたと思います。しかし、大学や研究所の内部の人間には必ずしも有効だとは限りません。実際に、毒物指定された後でも、2008 年に岡山大学薬学部でアジ化ナトリウムのコーヒー混入事件が起きました (同大ではアジ化ナトリウムを施錠保管、使用記録を行っていた)。1999 年には外部からの人の侵入が難しい理化学研究所で、お茶を飲んだ職員の気分が悪くなりアジ化ナトリウムがポットから検出される事件がありました。(いずれの事件も被害者は数日後に回復しています)

施錠保管と使用記録、倫理教育と安全教育、また人間関係を円滑にする制度や雰囲気作りで防止に努める、現状はこういったところでしょうか? ハーバード大学では今回の事件を受けて 「再発防止のためにビル全体への防犯カメラの導入を検討している。また、研究所の出入りの管理体制も強化したい」 と発表しています。こうした事件が相次いだ場合、ラボに監視カメラが設置される日がくるのかもしれません。

最後に、有機化学系の研究室では混入事件でなくても様々な化合物を皮膚から吸収したり鼻や口から吸入したりする恐れがあります。特に日常的に使用しているものについては、その危険性について鈍感になっていく傾向があるのでご注意ください。

[備考] アジ化物には爆発性のあるものが多く、最近起こった有機化学系の事故 3 件 で紹介したようにアジ化ナトリウムが残留溶媒のジクロロメタンと反応して生じたジアジドメタンが爆発を起こすこともあります。ご留意ください。
[関連] アジ化ナトリウム (Wikipedia)
[関連] アジドの話 (1)(2) (有機化学美術館)

気ままに有機化学 2009年10月31日 | Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース

最近気になった化学系サイト・動画・本 2009/10/24

萌える化学
 化学漫画。ときどきマニアックなネタも出てくるけど面白い。こういうの好き。(ちなみに今月 マンガでわかる有機化学 が発売されました)

Crystallography Time Line (InsideScience)
 2009 年ノーベル化学賞はリボソームの構造と機能の研究でした。構造研究には X 線が使われましたが、X 線関連のノーベル賞って 10 個もあるんですね。(あと生体分子を物理的手法で解析すると化学賞ということは生物+物理=化学。笑)

List of chemical compounds with unusual names (Wikipedia)
 変わった名前の化合物のリスト。Wikipedia にこんなページがあるというのにびっくり。実験の空き時間などにどうぞ。

The Safety Song

最近/近日発売の有機化学系の本
 ・ マンガでわかる有機化学
 ・ 東大式 現代科学用語ナビ
 ・ 笑う科学 イグ・ノーベル賞
 ・ Asymmetric Organocatalysis
 ・ Fluorinated Heterocyclic Compounds
 ・ Cinchona Alkaloids in Synthesis and Catalysis

気ままに有機化学 2009年10月24日 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイト・ツール・本

NMR クイズ 2

見えないモノを観ようとして、天文学者は望遠鏡を覗き込み、有機化学者は NMR チャートを覗き込みます。

冥王星の存在を信じていたローウェルという高名な天文学者は、冥王星の発見のために 10 年以上にわたって何千枚もの天文写真を撮り続けました。しかし結局発見することはできずに失意の中にこの世を後にします。その後、半ばアルバイトのような形で雇われた農夫だった青年トンボーがわずか 1 年の観測で発見してしまいました。そしてあとでローウェルが撮った写真を調べると、皮肉なことに膨大な写真の中に冥王星が写っていたことがわかったのです。

観えるかどうかとそれを適切に解釈できるかどうかは別の問題なのです。

4-アセチルピリジンのブロモ化を下記の手順で行った。NMR の太線オレンジで強調した箇所はどう解釈されるでしょうか。

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4-Acetylpyridine (1 g) was dissolved in acetic acid (5 mL), added with pyridinium hydrobromide perbromide (2.64 g), and stirred at 50℃ for 3 hours. The reaction mixture was cooled with ice, and the deposited crystals were collected by filtration, washed with toluene, and dried to obtain the title compound as white powder (0.934 g).
1H-NMR (CD3OD) : 3.70 (1H, d, J=11.1Hz), 3.80 (1H, d, J=10.8Hz), 8.25 (2H, d, J=6.0Hz), 8.90 (2H, d, J=6.0Hz)
ちなみに反応の手順と NMR データはある特許から拝借し、反応式は私が描きました。ただし、その特許には NMR の解釈は書かれていませんので。

[関連] NMR クイズ (気ままに有機化学)

09.11.07. 追記
[解答] NMR クイズ 2 の解答

気ままに有機化学 2009年10月23日 | Comment(19) | TrackBack(0) | クイズ

ChemPort、グーグル検索窓をマルチ検索窓に

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有機化学者のためのポータルサイト ChemPort の検索窓をグーグルのみからマルチ検索窓に変更しました。これによって、Google や Yahoo のウェブ・画像・地図・ニュース・辞書・ヤフオク検索、および Amazon 検索を 1 つの検索窓で行えるようになりました。検索窓にキーワードを入れたまま検索先を変えることもできます。スタートページとしてより使いやすくなった ChemPort を今後もよろしくお願いします。

気ままに有機化学 2009年10月17日 | Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース

試薬クイズ

HOPE ミーティングの取材記事 で、野依良治博士の箴言を紹介しました。「多くの学生が価値のある結果をそのまま捨ててしまっている。うまくいかなくてもある結果が出た時にその結果の価値を考えるんだ。」 と。有機化学の反応や試薬の中にも、このような偶然 (セレンディピティ) を見逃さずにうまく形にすることで生まれたものが数多くあります。ちょうど今月のファルマシア (日本薬学会の会誌) に好例が載っていたのでクイズ形式で紹介します。

ある研究員が、下のメシラートをピリジン中で脱離させてメチレンラクトンに変換しようと試みたところ、驚くべきことに主生成物は THP (テトラヒドロピラニル) 基が外れたものでした。THP 基は塩基性に対して安定でありピリジン中では外れないと信じていた研究員は、この結果を見て飛び上がったそうです。

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その研究員はこの結果からある有名な試薬を開発しました。さて、その試薬とは何でしょう?
(答えは数行下に)








その研究員は考えました。反応に伴い系内に生じたメタンスルホン酸のピリジニウム塩が酸触媒として働きTHP 基の脱離したに違いないと。しかしメタンスルホン酸のピリジニウム塩では潮解性が高く扱いづらい。そこで潮解性を抑えると同時に有機溶媒に溶けやすくするために p-トルエンスルホン酸と組み合わせたのです。その結果、生まれた試薬が PPTS (pyridinium p-toluenesulfonate)。THP 化を含む各種のアセタール化や脱アセタール化、シリル基の脱保護など、様々な反応に対してマイルドな弱酸触媒として使われています。

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ある研究員とは宮下正昭教授です。上の反応を行っていたときのボスの Grieco 教授に PPTS のアイデアを話したところ、「やりたいプロジェクトがたくさんあるから日本に帰ってからやるように」 と言われ、また日本に帰ってから恩師の吉越先生に話しても余り関心を示されなかったそうです。しかし後に論文発表したところ、多くのリプリント請求が届くほどの反響だったとか。

では、なぜ宮下教授はこの PPTS を発見することができたのでしょうか。実は上の反応よりも以前、宮下教授の学位研究で下のエポキシアルコールの THP 化がありました。当時使用されていたすべての酸触媒とジヒドロピランの反応を試みたそうですが収率の再現性が悪く、「もっと安心して使える酸触媒はないだろうか、将来必ず見つけたい」 という思いを強く抱いたそうです。

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酒石酸塩の分晶によって光学異性体を発見した ルイ・パスツール は次のように言ったそうです。「Chance Favors the Prepared Mind

気ままに有機化学 2009年10月12日 | Comment(4) | TrackBack(0) | クイズ