アキシャルに立つとき

 立体化学の原則の 1 つに、いす型飽和六員環の置換基はアキシャルよりもエカトリアルが優位になるというものがあります。しかし 「例外のない規則はない」 ということわざに洩れず、置換基がアキシャルに立つこともあるのです。今回はメカニズムの異なる 3 つのケースを紹介します。

(1) イソプロピル基がアキシャルに立つとき/立体効果
 下に示す all-trans-1,2,3,4,5,6-Hexaisopropylcyclohexane は、驚くべきことに全ての置換基がアキシャルに立つという極めて特殊な化合物です [論文1]。置換基が 1 つしかない Isopropylcyclohexane や構造的に近い all-trans-1,2,3,4,5,6-Hexaethylcyclohexane はエカトリアル優位なことからもその特異性が感じられます。X線構造をよく見ると、メチン水素 (イソプロピルの枝分かれ部分の水素) がうまくシクロヘキサン環の内側を向いて最も立体反発の小さい形になっていることが窺えるかと思います。エカトリアル同士だとぶつかるけど、アキシャルに立てばうまくコンパクトに収まるイソプロピル基。これがミソ。この素晴らしい結果には、イソプロピル基も総立ちでスタンディングオベーションを贈っているようです。

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(2) フルオロ基がアキシャルに立つとき/電荷-双極子相互作用
 創薬化学においてピペリジン環へのフッ素の導入は常套手段の 1 つで、その目的は主にピペリジンの塩基性を落とすことですが、コンフォメーションにも関与することがわかってきています。というのは、3-フルオロピペリジンはフッ素がエカトリアル優位なのに対し、プロトン化されたものはアキシャル優位になるのです [論文2]。構造は計算、NMR、X線で裏付けしています。NH2+ の場合だけでなく、NHMe+、NMe2+ でもアキシャル優位が見られ、要因として C-F…H-N の水素結合による寄与は小さく、C→F と H→N+ の間の電荷-双極子相互作用が効いているようです。

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(3) クロロ基とブロモ基がアキシャルに立つとき/ホスト-ゲスト
 クロロあるいはブロモシクロヘキサンは通常エカトリアル優位の平衡状態で存在しますが、2005 年にアキシャル配座が "単離" されました [論文3]。それは 9,9'-bianthryl と共結晶にするという少しトリッキーな技によってです。著者らは、 9,9'-bianthryl の単結晶が小さな空洞をもち、コンパクトで立方体状のものが入りそうなことを発見し、よりコンパクトなアキシャル型のクロロシクロヘキサンを取り込むのではないかと考え、これを試みたようです。構造はX線結晶構造解析によって裏付けられています。ブロモシクロヘキサンも同様にし、X線は撮れなかったものの、IR によるエカトリアル型 C-Br の消失や、クロロ体との粉末X線パターンの比較によって、これもアキシャル型になっていると推定しています。

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最後に、これは私の勝手な想像ですが、著者らが初めてクロロ基がアキシャルに立つことを確認したとき、どこか懐かしい感動と共にこう叫んだのではないでしょうか。「クロロが立った!」

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[論文1] "all-trans-1,2,3,4,5,6-Hexaisopropylcyclohexane: an all-axial hexaalkyl cyclohexane" J. Am. Chem. Soc. 1990, 112, 893.
[論文2] "3-Fluoropiperidines and N-Methyl-3-fluoropiperidinium Salts: The Persistence of Axial Fluorine" Chem. Eur. J. 2005, 11, 1579.
[論文3] "Isolation of axial conformers of chloro- and bromocyclohexane in a pure state as inclusion complexes with 9,9-bianthryl, and the discovery of a novel 1,3 diaxial ClH weak interaction" Chem. Commun. 2005, 3646.

気ままに有機化学 2009年06月27日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文 (その他)

NMR クイズの解答

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[問題] NMR クイズ (気ままに有機化学)

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気ままに有機化学 2009年06月20日 | Comment(12) | TrackBack(0) | クイズ

限りなく有機化学的な数学の問題の解答

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[問題] 限りなく有機化学的な数学の問題 (気ままに有機化学)

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気ままに有機化学 2009年06月19日 | Comment(0) | TrackBack(0) | クイズ

最近気になった化学系サイト・論文・本

Protecting-group-free synthesis as an opportunity for invention (Nature Chemistry)
 以前、Baran's 8 rules とその (1) と (4) に関するレドックスエコノミーの総説を紹介しましたが、今回は (6) に関する保護フリーの全合成に関するレビュー。もういっそのこと "Baran's 8 rules" とでも銘打った巨大レビューでも書いてほしい。

Self-assembly of a nanoscale DNA box with a controllable lid (Nature)
Self-assembly of DNA into nanoscale three-dimensional shapes (Nature)
 DNA 折り紙 を三次元へと拡張した芸術作品。一報目は DNA で創った立方体型の箱。フタは開閉可能なんだとか。二報目は二次元の DNA 折り紙を組み合わせて三次元の構造体を創りあげたもの。三次元スマイルマークがないのは残念。これまで、二次元 → 三次元ときたので次は四次元 (時間変化、動き) でしょうか。

『元素周期 〜萌えて覚える化学の基本〜』がドラマCD化!!! (化学者のつぶやき)
1887年にも元素を擬人化した人がいるようです (お茶妖精)
植物ホルモン擬人化まとめ (ほるもん)
 このブログでも 動画 を紹介した萌える元素系の記事 3 本。意外と流行ってますね。

最近/近日発売の有機化学系の本
 ・ 天然物の全合成―2000‐2008(日本)
 ・ 困ったときの有機化学
 ・ 談論風発!化学を哲学する
 ・ 元素の事典―どこにも出ていないその歴史と秘話
 ・ Purification of Laboratory Chemicals
 ・ Aldrich Library of 13C and 1H FT-NMR Spectra

気ままに有機化学 2009年06月18日 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイト・ツール・本

プロトンスポンジとヒドリドスポンジ

二週間ほど前の ボロン酸の進化した形 という記事のコメント欄で、1,8-ジアミノナフタレンをボロン酸の保護基として利用するという、杉野目道紀教授らの研究 [論文1] についてコメントをいただきました。ここからインスピレーションを得てヒドリドスポンジなるものを見つけたのでご紹介まで。

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1,8-ジアミノナフタレン/1,8-diaminonaphthalene

私が上のジアミノナフタレンを見てまず思ったのが、「プロトンスポンジに似てるなぁ」 ということでした。プロトンスポンジは市販の有機塩基なのでご存知の方も多いかと思いますが、下のような構造の化合物で、プロトンを強く捕捉して離さない性質があるため 「プロトンスポンジ」 と呼ばれます。

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プロトンスポンジ/proton sponge

プロトンスポンジはアニリン誘導体にも関わらず、その pKa は 12.34 (水中) と異常に強い塩基性を示します。その秘密は立体構造にあります。通常アニリンはローンペアが芳香環に共役して平面構造を取りますが、プロトンスポンジでは 4 つのメチル基の立体反発によって平面構造を取れない状態になっています。ここで、プロトンが 2 つの窒素原子にキレートされると大きな安定化を受けるため、塩基性が強くなっているわけです。実際、4 つのメチル基のうち 1 つメチル基がなくなると 100 万倍も塩基性が低下することからもその特殊な構造の重要性がうかがえます。

さて、ここでコメントいただいた記事がボロン酸に関するものであったことからか、ある考えが浮かびました。プロトンスポンジの窒素をホウ素に交換すればヒドリドスポンジになるのではないか、と。結構面白いアイデアだと思ったのですが・・・調べてみると 24 年も前に合成されてました [論文2]

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ヒドリドスポンジ/hydride sponge

論文ではヒドリドスポンジとヒドリドの錯体の X 線も撮っています。この錯体とベンジアルデヒドを 60 ℃で回しても還元反応は進行しないのだとか。それほど強くヒドリドを吸ってるということですね。・・・プロトンスポンジの N を B に換えてヒドリドスポンジ。すごくはないですが、面白いですね。

個人的には有機化合物からヒドリドを引っこ抜けたら面白いのにとか、錯形成で変色するならヒドリド試薬が完全に潰れたか調べる試薬になるかなとか、反応機構がヒドリド経由かを判定する試薬として使えないかなとか思ったりしたのですが、残念ながら触れられていませんでした。

自分が思ったことが既に論文になっているのは、悔しいような、でも論文になるようなアイデアだったというのは嬉しいような、少し複雑な気持ちですね。最後にもう1つアイデアを。プロトンスポンジとヒドリドスポンジを水素雰囲気下で混ぜたら水素分子を活性化 (プロトンとヒドリドに分割) できないかな? 遷移金属なし!有機分子触媒による水素化反応 で紹介した "Frustrated Lewis Pairs" のパクリ応用ですが、誰かやってみませんか?笑

[論文1] "Boron-Masking Strategy for the Selective Synthesis of Oligoarenes via Iterative Suzuki-Miyaura Coupling" J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 758-759.
[論文2] "Hydride sponge: 1,8-naphthalenediylbis(dimethylborane)" J. Am. Chem. Soc. 1985, 107, 1420-1421.

気ままに有機化学 2009年06月09日 | Comment(2) | TrackBack(0) | 論文 (その他)